方針と『風と共に去りぬ』

タナソーは自身がホストを務めるPodcastで、「次の『好き』を見つけるコツ」を問われてこのように答えている。

 

常に新しいものを追いかけること。

それに疲れたら、古いものにアクセスすること。

あるいは、全く別のジャンルにアクセスすること。

#010 Yogee New Waves/アートがなくちゃ生きていけない, an episode from Spotify on Spotify

 

何であれ、一生涯、その時々の自分が楽しむことができるものを見つけていきたいもので。そして、見つけたものについて、その時々での雑感を認めたいわけで。

noteも使っていて、そこでは「今」世に出された表現に関して四の五のウダウダ言っているのだけど、こちらではかつて世に出された「古いもの」について四の五の言ったりしようかなと(そういう使い分けは無くなるかもしらんけど)。

 

その嚆矢として、今回は先日「午前十時の映画祭」で観に行った『風と共に去りぬ』(’39)について述べていきたい。

asa10.eiga.com

「映画史上に燦然と輝く愛の金字塔」とコピーが付されているけど、見終わって「愛だね~、いや、愛だわ~」という感想には至らなかった。「愛」と呼ぶにはあまりに独りよがりな感情が物語を動かしているように感じられたからだ。オハラのアシュリーに対する想いというのは、「愛」というよりは、「自分が思うように事が進んで行って欲しい気持ち」なのでは、と思えた。オハラは、美貌含めそれを通す力を…「強さ」を…有する女性だと言えることは間違いないが。

 

…と、のっけからディスり気味だが、約四時間という上映時間、俺は全く退屈しなかった。大きく三点について、雑に述べていきたい。

 

1.金がかかってる~。

実際、395万7千ドル(当時)という巨額の資金を基に作られたらしいが、色んな要素でその資金力というのを堪能できる。

 まずは、オハラを主とした各登場人物の衣装!ファッションに関心の薄い俺ですら、それを追っかけるだけでも楽しかった。レットのスーツもいちいちキマってるよなあ。

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そして、セットもお金がかかっとる〜。レットと結婚した後の、家、家具など装飾品は言わずもがなであるが、特にそれを感じたのは、南北戦争最中でのこの家屋炎上シーンと、駅に見渡す限りの戦死者、戦傷病者が並べられているシーンだった。こんだけのエキストラ、どうやって集めんねん、という。圧倒されるばかりだった。

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2.結局、題名が全てを物語っているのでは

風と共に去りぬ」という題名の通り、様々な「風」が全てを連れ去っていく。「風」というのは時間の流れかもしれないし、南北戦争かもしれないが、まあ何にせよ何もかもがオハラの前から消えて行く。

男たち、お金、家族、メラニー…去らぬものといえば、美しい故郷タラの土地だけ。

だから、最後にレットが去った後、タラに帰って考えよ〜っ!ってなったのでは。

 

一方で、その去りゆくものを掴もうとするオハラの力強さったらない。戦争後に無くなったお金も結婚と事業で盛り返すし。タラの土地も、奪われそうになるところを何とか切り抜けるし。

逞しい女性像が去りゆくものの中で強い筆圧で描かれてるな、と思うばかりだった。

 

3.人種差別へのまなざし

時代的な理由と、地域的な理由に基づくものか、映画の中で黒人を奴隷として扱う描写が、当然のものとして映し出され、また彼らの言葉は「〜ですだ!」のような言葉で翻訳されており、いかにも差別的な言い回しが採用されている。

そんなことはダメだ!とか言った感想ではなく、ここまで当然のこととして描かれる時代だったのだな、ということとこの感情や姿勢というのはどれほどの濃さで今まで残っているものなのだろうか、ということを思った。

 

今年、俺は『グリーンブック』、『ブラッククランズマン』という映画を観た。

映画『グリーンブック』公式サイト

映画『ブラック・クランズマン』オフィシャルサイト

いずれも黒人差別を内容の中心に据えたもので、それを観たという助走がこの感想が引き出される要因になったことは間違いない(しかも『ブラッククランズマン』には、先述の駅のシーンが挟まれる!)。『風と共に去りぬ』の放映から80年の時が経ったが、その時を経て世に出された映画と交差させながら観ることができたのはラッキーだったなと思うばかりだった。